怒りの矛先は・・・
「GO meets拾~~イング かごんまー!!」
最近、天文館から騎射場に拾う場所を移しています。
そのお話はまたいつか。
さて、前回のお話で拾う時間を夜中に変え、
怒りを原動力に拾いまくる日々が続きました。
その勢いで、働いている職場のスタッフをも巻き込み、
2〜3人で拾う日々が数週間続きました。
夜中に三人で拾っていると、
もはやポカスカジャン。
ではなくて、、、、
新撰組のような気持ちでした。
見回り隊といいますか、
威圧感というか、
周囲の目に留まりやすいわけです。
ゴミを拾うというより、拾い切る感じでした。
サムライですな。
仕事終わりに1時間位拾っていたので帰る時間は3時半とかでしたねー。
三人で拾うとすごい量でしたよ。
ほれ。
ほれほれ。
そいやー!!
キリがなかったですよ。
かき はありましたが。
怒りは時に、意地に変わっていきました。
だから大雨でも傘をさして拾っていました。
そして怒りの矛先が徐々に変わっていきました。
捨てている人→無関心な人→天文館の雰囲気→行政→鹿児島。
いつしか怒りの矛先は
自分に向いていました。
こんなにイライラしているのは、ゴミのポイ捨てという状況にではなく、
この街への《貢献》や《支え》という僕自身のニーズが満たされていなくて怒っていたのかもしれません。
はたまた、ゴミを拾っている僕に《意識を向けられられる》、《気にかける》というニーズが満たされていなかったのかもしれません。
今思えば、NVCの自己共感的なことをしていたのかもしれません。
その当時は、NVC(非暴力コミュニケーション)なんて知りませんでしたが。
NVCにつきましてはまたの機会に。
自分に向いた怒りの矛先。
毎晩、毎晩拾っても何も変わらない、変えられない。
自分にもっと地位、富、権力があればこんなの変えられるのにって思ってました。
すると怒りは、
寂しさ、孤独感、孤立した気持ち
になっていきました。
ゴミを拾いに行くたびに自分の無力感を痛感する日々が続きました。
そんな状況でも続けていたのは、今思えば
この街に、鹿児島に、
貢献したいという強い思いあったのでしょう。
その当時はそんな余裕もなく
我武者羅に何か答えを見つけようと
夢中で拾っていました。
そして続けていくと、
危険な目にあうこともしばしばありました。
その話はまた次回に。
まだまだこの時は
影も形も知らない
KAZARIブログはこちらですー。
それではみなさん、、、
「ゴミ拾~~イング かごんまー!!」
衝撃の現実とは、、、
「GO meets拾~~イング かごんまー!!」
さて、衝撃の現実とは、、、。
One day.
いやー今日も拾ったなぁ(←夕方)
さー、働くぞー!
『前やん(当時のニックネーム)今日は早上がりでよろしくうううううっ!』
なにー!!
稼げないじゃないかー!
ま、たまにはいいか。
普段は、賄い(チヂミくん)食べてスタスタ帰るのですが、
そうだ!!!さっき拾った所を通って見よう!
と、ふと思ったわけです。
すると。
がちょーん!!!!!
さっき、
ほんの4時間前に拾ったはずの場所が!
綺麗にしたあの道が、、、
さっき拾った排水溝が
灰皿みたいに、、、、
しまいには、目の前でタバコをポイポイ。
おいおい、種まきでももっと丁寧だぞ!
ちょっと待ってくれ!
ちょ、待てよっ!
キムタク
夕方に僕が拾っていた意味、痕跡は、
この光景を見る限り、跡形もなくなっていたのです。
あるのは、ただただポイポイと捨てられたゴミ。
『〜ing』でしたよ。
現在進行形でしたね。
その様子を
リアルタイムでみてました。
これが僕にとっての
衝撃の現実だったわけです。
すべてを無にされたような、、
大政奉還されて、忠誠を誓っていた幕府がなくなってしまった時の
新撰組みたいな気持ちです。。笑
無念。
からの。。。。。。。
ちくしょー!!(怒)
ほほう。
自分が働いてる時間帯(20〜25時)に
捨てられまくっているわけだな。
ならば、粗方 捨てられたあとに拾えば
朝は綺麗になっているのだな!
やってやるー!(決意)
やるなら今しかねー!!!!!
てなわけで、夕方→夜中に拾うようになったのです。
その時は思っていなかったけど、
ある意味『あきらめ』であり、『対処療法的』だったという事。
これまでの感情の変化は、
達成感→自己満足→絶望→怒り
といった感じです。
その怒りを原動力に、夜中のごみ拾いが
いよいよ始まります。
怒りが原動力ということが伝えたく、怒り、叫びといえばこの方、
長渕剛さんに登場していただきました。
それではみなさん、、、
「ゴミ拾~~イング かごんまー!!」
長渕よりもAqua Timez好きのKAZARIのブログもよろしくお願いします。
ゴミ拾いは夕方に。
みたいなタイトルにしてみたかった。
みなさんおはこんばんちわ。
「GO meets拾~~イング かごんまー!!」
おいおい、突然どうしたんだ、とお思いでしょう。
無理もありません。
枕崎のスター、ちゃんサネさんからセリフをいただきましたので、毎回の
合言葉にしていきます。
ちゃんサネさんがされてるラジオ番組の冒頭に、
『ぐーーーーーーーーーーっど
イブニーーーーーング
かごんまーーーーーーーー!!!!』
という名台詞がありそこからの派生系でございます。
さてさて、、
2013年9月13日にゴミ拾いがスタートしました。
夕方6時頃、拾ってました。
当時は、日がまだ暮れず心地よい空気の中、気楽な感じで拾ってましたねー。
今は私の7つ道具の一つ、ごみばさみも無く、
なんと!マイハンドで拾っていましたよ!
今思えば相当なエクササイズ。
ライザップ級です。
拾うたびに腰を曲げるわけです。
頭フラフラでしたねーっっw
ルートは文化通りを少し歩きながら、アーケード街へ。
ティッシュ配りの兄さん姉さんの視線を感じながら、地蔵角交番までを拾っていました。
結構な距離ですよ。ほんまに。
汗かきながら拾い終えた道を気持ちよーく歩いてお店に戻ったのを
今でも覚えています。
俺はなんていいことをしているんだ。
偉いぞ!よーいちろー!!!1
そんな日々が1週間ほど続きました。
そんな中、衝撃の現実が突然やってきます。
それではまた。
「ゴミ拾~~イング かごんまー!!」
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始まりの日。
本題へ。
そもそもの問いとして 前野(この時はまだクリーン隊長にあらず。)はなぜ、 天文館で1人ごみ拾いを 始めたのか。
これは会う人会う人に聞かれます。
そりゃそうだな。 福岡に7年住み、都市の中で歳を重ね(笑)、 鹿児島に戻り、感じたことは、
『鹿児島も都会になったなー。大型ショッピングモール、駅ビル、向かいにはおっきなHotelまで。』
街はどんどん都市化されていて、小洒落た若者も目立っていたけど、 なーんか僕の知ってた鹿児島じゃないんだよなーという漠然とした思いがあった。
そんな中、天文館で働くようになり、 ぶらぶら歩いてみたら至る所にポイ捨てされたゴミを見つけた。
お店が暇な日、 店前でビラ配りとかマジで意味ないと思っていたので、
だったら散歩がてらごみ拾いをしよー!って店を出た。 それが、すべての悲劇の始まりなのです。 20分くらい歩いて拾ったのがこの写真。
記念すべき一枚目の収穫写真です。
2013年 9月12日 そんな感じでゴミ拾いが始まりました。
僕と同じB型の、KAZARIのブログもよろしくです!
KAZARIとの出会いも後々、紹介していきますね!
170人会議にスタッフとして参加した時に思ったことや、考えたこと。 - ぼうけんの記録
桜島の噴火。
久々に桜島が噴火し、一時期Facebookの
タイムラインが桜島だらけでした。
県外の方は心配でしょうが、
鹿児島の方は待ち望んでいたかのような記事がたくさん見られました。
こんなに違うのかー!
鹿児島に住んでみないとわからないですよね。
噴火→火山灰。
洗車後によく火山灰が降って、、、。
窓開けっ放し、洗濯物干しっぱなしで、、、。
『また洗えば、よかたっが。』
『仕方なか。』
桜島が、鹿児島に住む人々の一種の《寛容な心》を
つくりあげているのでしょうか。
何より、鹿児島に住む人にとってやっぱり桜島は
シンボルなのだと感じ、同じ気持ちを持っていた自分も
嬉しくなりました。
ふぅー。
ごみ拾いについて全く触れないこの展開。。
ごみ拾いは街づくり!?
どーん!
クリーン隊長です。
知らない方は初めまして。
ご存知の方々は、おはこんばんちわ。
学生時代にblogが炎上してから
辞めてましたが、個人がメディアの時代がより一層増している中、僕にしか発信できないことが蓄積してきましたので、
発信していきます。
非公式研究所 ゴミんなさい倶楽部 代表理事 クリーン隊長でしたー。